過去の思いの中に未来があり、未来の思いの中に過去があることは既に学びしはずである。されば今の思いの中に過去があり、今の思いの中に未来があることも当然のことである。されは、誰しも同じであり、仏の一瞬の思いの中にも過去現在未来のすべての時間が含まれている。
それが心である。過去なくして現在はなく、過去なくして未来もない、現在なくして未来もなく、現在なくして過去もない。それが人間の心である。
ある者は、現在の時間の中に生きながらも過去の時間の中に生き、ある者は、現在の時間の中に生きながらも、未来の時間を生きる。またある者は、過去があることを知りながらも過去があることを忘れ、未来があることを知りながらも、未来を忘れて刹那の時間を生きる。
そのどれもが仏の知恵を知らぬ者たちの生き方であり、過去の怨みを抱き続ける者は、現在の時間を生きながらも過去の時間の中を生き続け、夢想の中に生き続ける者は、現在の時間を生きながらも心は現在になく、未来の中にしかない。
それは誰しもが同じである。仏であっても、その思いの中には、すべての時間があることを忘れてはならない。現在を生きながらも過去に生きることもできれば、未来の時間を生きることもできるのである。否、すべての一瞬の思いの中に、すべての時間があり、すべての思いの中に一瞬の時間がある。その両者を区別して考えるべきではなく、区別して考えるならば、我が教えの真意を見失うであろう。
現在を生きながらも、過去の時間の中に生きる者は、過去の中に未来があることを知らぬ者でしかない。過去の時間の中にも過去があり、過去の時間の中にも現在があり、過去の時間の中にも未来がある。すべての時間が、刹那の時間の中に含まれていることを知るならば、過去にとらわれることも未来にとらわれることの愚かさも知るはずである。
それは教えを学び、言葉で理解したとしも何の意味もないことである。過去の記憶の中に生きようとする者は、過去の記憶の中に自分の理想を追い求める者であり、刹那の喜びを追い求める者と同じ心でしかない。
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